アイドルなんて好きになるんじゃなかった

村上さんと関ジャニ∞とすばるくん。のはずだった。どうでもいい独り言

英会話伝言ゲームからリスニングにおけるポイントを真面目に解説してみる

 

かえでです。

 

関ジャニ∞クロニクルにおける名物コーナー、

「英会話伝言ゲーム」

横山裕さん、錦戸亮さん、そして村上信五さんが英語のネイティブスピーカー三人を交え、英会話の伝言に取り組むゲーム。実は長い間英語の勉強をしている私はある時不意に思ったのです。

(…これ真面目に分析したらリスニングのポイントとかの解説しやすいんじゃね?)

と。

思い立ったが吉日!ということで必死こいて過去の英会話伝言ゲームを見返してみました。珍解答のまとめに近い部分もあるので、英語怖いよおなんて思わず読んでくだされば幸いでする。

 

一応私のスペックを表記しておくと、日本のとある大学の国際系の学部に通う大学四年生です。留学はしてたけど英語圏の国じゃないので割愛(キャッツアイ)。英語勉強歴は大体13年くらい。ある日突然親に英会話教室に放り込まれ、そこから程度の差はあれど英語の勉強をし続けています。普通に英語が好き。

TOEICは嫌いなので受験していませんが、英検は先日準一級を獲得。やっと。日常会話程度なら問題なくできるし、簡単な論文くらいなら読めるかなーって感じです。字幕なしでの洋画も見れる、けれどスラングに関する知識は弱め。センター試験のリスニングは満点でしたが4年前…。典型的な「自称英語の出来る日本人大学生」といったところ。バリバリの日本人です。

 

 

 

長々と失礼しました。注意事項の後、本編に入りますね。

!attention!

・上記の通り、私はあくまで一学生です。多少のミスは目をつむってください

・教員免許等も持っていません。あくまで私の今までの経験則から導いた、リスニングにおけるポイントをまとめているだけです。

・当然ながら出演者の皆様、関係者の皆様を侮辱する意図は全くありません。(とはいえ珍解答にも触れるので、特に村上さん、横山さんのファンの方は注意)

・読んだ後の苦情は受け付けません。何か重大な問題がある場合のみ、やさしーくこっそーり教えてください。優しさがたいせつ。

 

 

ではいきましょう。

 

関ジャニ∞クロニクル

英会話伝言ゲームから

英語のリスニングにおけるポイントを真面目に解説してみた!!!!

 

 

*過去放送分からいくつかピックアップして紹介していきます。

*横山さん→横、錦戸さん→亮、村上さん→村、レックスさん→R、ハルカさん→H、デイビッドさん→Dで表記します

*敬称略の呼びやすい感じで行きます。ご容赦ください

 

 ポイント1.何気ない一音による変化

 

15/8/29放送:レストランで使える英会話より

お題:May we have separete bills?/別勘定にできますか?

→横:May we have ペバラパラサー、みたいな

→H:May we have some better blues?/もっといいブルース音楽をかけてくれませんか?

→亮:May we have a some better blues?/もっといいブルース音楽をかけてくれませんか?

→R:May we have some BellaBlues?/ベラブルースという飲み物か食べ物もらえませんか?

→村:メイビー ウェアハウス ベーブルース?/この家は多分ベーブ・ルースの家です

 

ちょっと村上さんの回答がぶっ飛びすぎていてそこに目が行くけれど、注目ポイントは錦戸さんの英語。ハルカの英語に、亮ちゃんは a を加えてしまったのです。え、それだけ?って感じがするかもしれないけれど、英語においては結構大問題です。a や the のいわゆる「冠詞」は日本語にはあまりない感覚だけれど、英語をはじめとする諸外国語ではかなり重要な役割を担っていたりします。

今回の場合、

[some better blues]だと「なにかいいブルース音楽

になりますが、

[a some better blues]だと「“ベターブルース”ひとつ」になるのです。

 

・・・は?

もうちょっと踏み込むと、 a という一単語がつくことによって、[better blues]が不可算名詞から可算名詞へと姿を変えた(様に思われる)んです。まあちょっとsomeが邪魔だけど今回の場合。

不可算名詞=数えられない名詞

可算名詞=数えられる名詞

水やガスなどが不可算名詞に当てはまって、リンゴや犬なんかが可算名詞に当てはまります。めんどくさい

で。

この法則(?)によって、レックスが「ベラブルースという食べ物か飲み物」という日本語訳を導いたのです。

a とかの冠詞類は本当にしれっといるしなんか存在価値が謎!!村上さんも「theに意味なんかあるかい!」って言ってましたね。でもね、

ちゃんと意味があるんです。

 

ポイント2.音の脱落と連続

 

15/9/26放送:ホテルで使える英会話より

お題:The hot water isn't runnning./お湯が出ないのですが

→横:ダハ water isn't ラーニング

クリントン:正解

→村:ダハ what isn't running!/なに走っとんねん!

→H:正解

→亮:正解/お湯出ねぇんだけど(正解)

 

注目するのは横山さんと村上さんのリスニング結果。二人とも[the hot]を「ダハ」と聞き取っています。[the hot]はカタカナを振ると「ザ ホット」のイメージですが、ネイティブはカタカナで発音してくれません。

英語が抑揚の大きな言語(というか日本語が抑揚のない言語)なことは知っている人も多いと思いますが、このフレーズはまさにそれを表しています。

[the hot]は、hot の t の音がほとんど脱落して、また the と hot の h の音がつながって聞こえます。そして日本語には th の音がないので、いきなり聞くと「ザ」とか「ダ」に聞こえがち。

その結果「ダハ」が生まれます。英語は前の単語と繋がることで単体の時と発音が変わって、またすべての音をはっきりと発音はしないので、こうやって聞こえることはよくありますよね。

(could youクッジューとか can Iキャナーイとか)

でも二人とも[isn't]はばっちり聞き取れてたんですよね。これが肯定系に変わるだけで意味も全然変わってくるので、ファインプレーだと思います。

 

 

15/11/28放送:空港で使える英会話より

お題:Could I have a middle seat?/真ん中の席をお願いします

横→クライ ハブ メール シート?/赤ちゃん泣いてるから席移動していいですか?

H、亮、D→正解

村→Could you I メープルスイーツ?/メープルスイーツいりますか?

 

うんまあ村上イングリッシュが本気出してきたなって感じなんですけど。

これは横山さんの聞き取った英語を見ます。意外とというか、ものすごくリスニングにおけるポイント押さえてるので…。

[Could I]が「クライ」に聞こえた横山さん。これもやっぱり音の脱落が原因。could の d の音が言い切られる前に I の音が来ることで、「クッドアイ」ではない「クダーイ」に近く聞こえます。で、なんでそれが「クライ」になるかというと、

 

DとRの音って実はめっちゃ似てるんですよ。

(一番わかりやすいけど一番ダメな例を出すと、えっちな漫画だと「だめぇ」が「らめぇ」になる感じです)

ということで、[Could I] が「クライ」に聞こえた横山さん。音は拾えているので伝言は成功しました。

空耳アワーも馬鹿にはできません。

[middle]が「メール」に聞こえたのも、 d の音の脱落から。ヨコさんも村上さんも、聞き取り能力は結構あるはず…!

 

ポイント3.主語と文型の把握

 

これに関してはちょっと村上さんの独壇場なのでそのほかの人の伝言は飛ばしますね。

 

15/11/28放送:空港で使える英会話より

お題:Coud I have a middle seat?/真ん中の席ありますか?

村→Could you I メープルスイーツ?/メープルスイーツいりますか?

 

先に書いた通り、村上イングリッシュ本領発揮です。

これ、村上さんの聞き取った英語では[you]と[ ]で、主語が二つあるんですよね。

仮主語とか、よほど長い文章でない限り主語は一つです。

だってそうじゃないと意味伝わんなくなるし

ではなぜ村上さんの聞き取った英語には主語が二つ出てきたのでしょうか?

これはかなり推測になるのですが、村上さんの中で could=could you~?のイメージがあったのではないでしょうか。

いやぶっちゃけない??? could=could you~?のイメージ。でもお題の文の主語は[ ]なので、その音を聞き取って。その結果、主語が二つになったのでは、と考えます。

ここの矛盾に気づけるかどうかって、結構大事なポイントだと思います。

 

 

16/9/3放送:空港で使える英会話より

お題:May I move to that seat?/あの席に移ってもいいですか?

 

村→メーアイムーブ ザッツザスイーツ?/あちらの席に移動していただけますか?

 

どうしてその日本語訳になったシリーズ

(※よくある)

 

[may]が丁寧な表現だとはわかっていた村上さん。だけれども、丁寧な方に考えすぎたのか「私のお願い聞いてくださいませんか?」的な方向に和訳してしまいました。違うんです…。[may]は「~してもよい」という訳なので、疑問形になると「~してもよいですか?」という訳になるんですね…。

リスニングするとき、主語と助動詞などを聞き分け、話者が何を求めているかを理解するのが大切です。自分がほかの人の行動を依頼しているのか、自分の行動の許可を求めているのか、それによって意味が全く変わりますもんね。

 

 

17/4/8放送:ショッピングで使える英会話より

 

お題:Is it possible to return this?/返品可能ですか?

 

村→It is a possible to the try dis!/もうやらなきゃいけないんだ!トライしないと、ディスられるんだ!

 

伝説のパスポート取りたいんです回。

 

(゜∠゜)←「ドつぼにハマって泣く36歳」(当時)

のテロップ付けられましたね横山さん。

まあ、村上さんも負けてないけど。

この伝言の失敗において文型把握は一番大きなミスではないんだけれど、結構大切だと思います。

お題は[Is]から始まる疑問形です。が、村上さんは[It is]の肯定文形に聞き取ってしまいました。疑問文と肯定文だと、日本語訳が全く変わってきますよね。でも英語が聞き取れなくても、わかりやすいのは末尾です。

疑問形だと語尾が上がりますよね。そこに気づけて、[It is]じゃなくて[Is it]だとひらめくことができるかどうか。英語が結論から言う文章とはいえ、最後まで気を抜かず聞くことも大切。

 

 

ポイント4.単語・イディオムの知識

 

 

 16/9/3放送:空港で使える英会話より

 お題:Can I carry this on board./機内持ち込みできますか?

横→キャナイ…ボーイ?→Can I carry デッサンボーイ?

H、亮、D→正解

村→キャナイ carry this on board./この板手で持っていけますか!?

 

惜しい。実に惜しい。

この回に関しては本当に単語・イディオムの知識不足としか言えない…。ちゃんと音を拾えたのに!!!主語が自分で、何かしていいか尋ねていることも分かっているのに!!! [on board]が「機内」という訳を知っていれば、多分「板」の訳は飛び出なかったのでは。と思います。

リスニングでは、はっきりと聞き取れなかった単語は知識に基づく推測で埋めることが意外と大切。

 

だって私たちネイティブじゃないもの。

一言一句漏らさずに聞くなんて無理だもの。

じゃあ、文脈推測するしかないじゃない。

 

 

17/4/8放送:ショッピングで使える英会話より

お題:You gave me the wrong change./おつりが間違っています

横→ユーゲーム ミドロン チェンジ

H、亮、D→正解

村→ユーゲイミー ロング change!/あなた私にずーっと変わってほしいんでしょ

 

 

村上さんゲイミー、バイ発言の回。この回のポイントは[wrong]です。長いという意味の[long]と、横山さんも村上さんも間違えていましたね。L と R の聞き分けが出来ることが多分理想なんですけど、まあぶっちゃけ無理です。

巻き舌かどうか、とかの判断基準はありますが、全てをラ行として片づける日本語を母語にする私たちにとって、ある程度耳が成長してからの聞き分けはとても難しいことだと思います。

このお題では、長いという訳が入ることはおかしい、というところに気付くことが大切です。じゃあなに?となります。同じ「ロング」の発音で、長い、という意味じゃない単語。そこに[wrong]を知っていれば、結び付けることができると思います。

知っていることが大切なんです。

 

まとめ

正解を知らされた後、村上さんがよく言っているセリフがあります。

「めっちゃ聞こえる~!!!!!」

これ、実はめちゃくちゃ大切なことで。

文字を実際に見ると、外国語が英語になって、ずっと理解しやすくなるんです。何を当たり前なことを、と思うかもしれませんが、リスニング能力を上げるためにはこの練習がとても効果的だと個人的には思っています。洋画を英語音声で聞きながら、英語字幕を表示する練習方法。聞いた音が文字に変換できるように、何度も何度も聞いて、覚えることが大切です。

 

それともう一つ。

亮ちゃん、村上さんが時々言うことで、

「想定して聞く」

という言葉があります。事前に知らされたテーマから、考えられる例文を頭の中に並べてみるんですね。特に試験問題としてのリスニングにおいては、問題文から考えられる場面や会話の中身を想定することがとっても大切です。高校生の人、先生に「先に問題文に目ぇ通せー」って言われたことないですか。そうですそれです。

 

 

過去からの英会話伝言ゲームをすべて見ていると、三人ともメキメキ力を付けていることがすごくよくわかります。特に村上さんは、英字新聞を使った勉強をしている成果か、英語を英語として聞き取ろうとしているなあと伝わってきて応援したくなりますね。

言語に近道はありません。例えば教室に通ったり留学やワーキングホリデーで現地に住めば格段に言語力はあがりますが、それは近道を通ったのではなく、一日に上る階段の数を増やしただけなのです。

30を過ぎた大人でも、がんばろう、と努力をすればしっかりと能力を上げることができます。亮ちゃんと村上さんは最終学歴が中学校という大きすぎるハンデを持っているにもかかわらず、とても真摯に企画に取り組んでいます。

 

英語が苦手な人。ただコツコツと、例えば毎日、セサミストリートを見ることから始めてください。通学の時間でも、寝る前の5分でもいいんです。半年、一年後に、耳が成長したと絶対に感じられるはずなので。

 

関ジャニ∞さんが初の海外公演を無事に終えましたね。

きっと世界を相手にこれから活躍するであろう彼らに、海外で自分を磨きたいと巣立っていった彼に負けないように、少し挑戦してみませんか?

 

なんだか授業みたいになってしまいましたね。恥ずかしい…。

 

長々とお読みいただきありがとうございました!言語って、外国語って素晴らしいものなんだよって!一人でも多くの人に伝わりますように!!!!

 

 

 

 

君の知らない物語

昔、絵を描くことが大嫌いだった。

 

幼稚園くらいまでは好きだったかもしれない。色とりどりのクレヨンや色鉛筆は見るだけでワクワクした。黒い画用紙に白いクレヨンで丸を描くと雪みたいに見えることも、クレヨンが絵の具を弾くことも学んだ。絵の具を弾いたクレヨンは、普通に描いただけの線とはちょっと違うことも学んだ。

 

小学校一年生の時、遠足の思い出を図画工作で絵にした。遠足の行き先は里山みたいな自然公園みたいなところだった。ちっちゃいカエルに初めて触った。私は、そこで見つけたコオロギを中心に大きく描いたと思う。周りも色んなものを描いて、画面いっぱい賑やかな絵にした。それはクラスでも優秀な作品の一つに選んでもらえて、個人懇談の時に体育館に飾ってもらった。嬉しかった。誇らしかった。担任の先生が、「あの真ん中のアリ、上手にかけてるね」と言うまでは。

アリじゃないもん。コオロギだもん。涙をいっぱい溜めてブスくれて言った私に、先生は慌てて謝ってくれた。それから、絵を描くのが少し嫌になった。

 

小学校六年生の時、「文字を使わない人権ポスター」を書くことが課題になった。それまで課題で描いたポスターは、必ず標語と合わせての採点だった。字が下手な私は嬉しかった。暗いところから伸びる手と、明るい穴から伸びる手、明るい穴にたくさん見える笑顔を描いたと思う。当時、その構図を思いついた自分をたくさん褒めた。同じような発想の同級生がいなかった気がした。

肌色の絵の具が足りなくて、穴の中に見える笑顔の肌の色はまばらだった。綺麗な肌色、ちょっとくすんだ色、ほとんど画用紙の色。けれど私は、むしろそれが自然だと思ったから、そのまま作業を進めていた。担任の先生に怒られた。絵の具がないなら買うか友達にもらいなさい。ちゃんと色を塗りなさい、そう言われた。先生がくれたいっぱいの肌色で綺麗に塗り直された穴の中の笑顔達は、なんだかのぺっとして嫌いだった。その頃自慢だった同級生より一回り大きな自分の手を形取った手も、クレヨンを指で伸ばしてリアルに質感を出せたつもりだった手の色も、先生は何一つ褒めてくれなかった。気付いていなかったと思う。ポスターは表彰されなかった。絵を描くのが、もう少し嫌いになった。

 

二つ上の姉は中学から美術部だった。書道が上手くて観察眼の鋭さと手指の繊細さを持つ姉は、模写が上手だった。珍しい名字だし、公立の中学だから兄弟姉妹事情は先生に筒抜けだった。美術の授業のとき、「あの子の妹だものね」と美術部の顧問の先生に言われた。私は模写がすごく苦手だ。レタリングが下手で、先生にガッカリした顔をされた。まっすぐ線を引いたり、縦の線と横の線の太さを揃えるなんて大の苦手だ。それでも頑張ったけれど、先生は、似てないんだね、と感じていた様だった。

 

ちょっとしたことが積み重なって、あとは思春期の恥ずかしさとかも相まって。私は絵を描くことを避けていた。少し和らいできた高1の夏、何となく家にあった画用紙と色鉛筆が目について絵を書いた。夕焼けの海。昔より繊細に色をつけられたことが嬉しかった。描きあげたあと、物足りなさを感じて波打ち際に女の子を描いた。体を描いたり、服を描く自信はなかったから、白いワンピースだけ着た女の子。それを見た母に心配された。「なにか病んでるの?」

絵を描くことが大嫌いなった。

 

 

エイトを好きになって、顔だけのイラストを描くようになった。それまでできるだけ絵を描くことを避けてきたけれど、Twitterに溢れるかわいいファンアートを見ているとたまらなくなった。

楽しかった。最初は特徴を掴んだだけのまんまるい何か。しばらくして、髪型だったり、表情だったりを色々試してみた。楽しかった、楽しい。あんなに嫌いだった模写も、たくさん挑戦出来た。気に入りの村上さんの顔をうまくかけた時はニコニコしたし、大好きな絵師の友達にかわいい!って言われた時は本当に嬉しかった。

 

 

昔、絵を描くことが大嫌いだった。

今は、ただ「描きたい!」と思うものがあることが嬉しい。もっともっと時間を見つけて練習して、今はデフォルメばっかり描いてるけど、ちゃんと体を描いてみたい。服だって、ちゃんと描いてみたい。

最近思い出した。私は、うんと昔、お絵描きの時間が大好きだった。

 

地域格差に物申す

今まで「一部地域を除く」の言葉の深い意味を気にしたことはなかった。実家は奈良県だけど民放キー局は全部見れたし、大阪の電波も入ったからなんだったらチャンネル数はかなり多かった。リモコンの1~12全部にチャンネルがあったと思う。すごく嫌な言い方をすると、その気になれば見たい番組は全部見れた。

大学に入って高知県に引っ越してきてからも、「一部地域」の壁にそこまで苦しんだことはなかった。初めのころは民放少ないなーとは思ったけど、Мステのスペシャルが見れないさみしさと、あとはMー1が見れないのがちょっと嫌だったくらい。でも当時は音楽番組の出演情報を血眼に追いかけて録画するようなアーティストはいなかったし。地元の友達がついったーでワイワイしてるの見て、「あーこの芸人さんが優勝したんだ」くらいだった。

上げた番組名でわかると思うけれど、私は要するにテレ朝系列が見れない。(ちなみに村マヨ・ジャニ勉・クロニクルは遅れて放送)

 

まあもう察してるだろうけど。

私は関ジャムの生放送を見れなかった。

 

もともと関ジャムは見れてなかったから今更喚きはしなかった、したくなかった。いつもみたいに実家に録画のお願いして。今度帰省したら見よう。バイトだけど後でTL追えばいっか。誰か動画上げるだろうし(ほんとはダメなんだけど)。くらいの気持ちだった。休憩の時に見たツイッターは散々だった。みんな何かしらの言葉をつぶやいてるんだけど、正直画面見てないから一切合切何に嘆いて何に喜んでるのかわからなかった。亮ちゃんとすばるくんがジョンとポールなことは分かった。

そんで曲も。七人がどんな表情で、どんな雰囲気で歌ったのか全く分からなかった。何にもわからなかった。無責任ヒーローは知ってたけど、そうか、ロマネとLIFE歌ったんだ。って。それしかわからなかった。

 

次の日の朝に情報を整理して、亮ちゃんが泣いちゃったこととか、さみしいねって零したこととか、でもリズム隊はむしろすごい笑顔だったことか。すばるくんが、eighterと、叫んでくれたこと、とか。たくさんたくさん情報は入ってきて、だけどちっとも心のほうに落ちてこなかった。だって見てないんだもん。ついったーに上げてる人も見かけなかったし(もちろん本来はそれが正しい)。自分から探したい気持ちも薄かった。彼らが生で演奏した意味を、無碍にしてしまう気持ちがあった。

 

でも、あの日の丸ちゃんのブログも、そして今日のレンジャー日記も。彼らは、きっと彼らの言葉や、歌や、思いや、姿が、私に届いていると思っていた。(おこがましくてすいません)地団駄踏んで暴れまわりたかった。なんで私は、真っ赤な色が似あう彼の最後の叫びを聞けていないんだろう。なんで私は、七人の、六人と一人の、覚悟や意志を、まだ受け止めていないんだろう。

 

じゃあ映る地域に行けばよかったのに。その地域に住んでいる人にテレビ通話してもらえば。そう思われるだろうなと思う。でも私はただの大学生だ。シフトに入っている人の少ない夜勤のバイトに穴をあけることは難しいし、普段から就活の関係で急なシフト変更をお願いすることが多かった。何より夏に向けてお金をためていて、かつ春の就活による東京との往復でお金のない私に、関ジャムが映る地域への遠征費は厳しい。つまり、関ジャムを見るために無茶をすることは、私にとって現実的じゃなかったんだ。

言い訳じゃん。うんそうだよ言い訳だよ。

現実的じゃない。オタクを続けていくうえで、無理はしたくない。そう思って、自分を丸め込んで、私は関ジャムを諦めた。諦めちゃダメだったのに。

 

「一部地域」がこんなにも疎ましく思ったことはない。

 

来来週、実家に帰る。関ジャムも、Мステも見れる。そしてそのころに、高知では多分ジャニ勉とクロニクルの「すばるくんの最後の回」が放送される。

 

私はその時まで、みんなみたいに「あー最後なんだ」って思えない。今週末には六人のツアーが始まるのに。今日はすばる君のレンジャーの更新が最後だったのに。追いて行かれる。六人に、七人に、追いていかれる。

 

普段は大好きなこののんびりとした田舎が、ゆったりと流れる空気が、「一部地域」の壁に阻まれて今だけ大嫌いになりそう。

ツアー参戦まで二か月を切った。そろそろうちわを作らないと。

愛してるよすばるくん。

あれお前村上担じゃねーの?

うんまあ私にとってのアイドルは今までもこれからも村上信五ただ一人なんだけど、もうめんどくさいから前に書いた「ねぇすばるくん」っていうブログ読んで。

 

 

 

で。

 

今日、すばる君が最後に出演するクロニクルでしたね。

 

期待をめちゃくちゃに裏切られた。笑って、どこまでも「関ジャニらしく!」と言ってすばる君をジャニ勉が送り出してくれたから、クロニクルもそんなテンションだと勝手に思ってた。だってクロニクルだし。しかもいきなりドッジだし。

いやまあ前半は腹抱えて笑ったしカオスすぎてなんか眉間に皴寄せてた。でも楽しかった。ああ、私が好きになった関ジャニ∞だって思った。私クロニクルきっかけだから。

 

なのにさーあー。

ずるいって、もう。

みんなの表情とかさ、歌声とかさ、雰囲気とかさ。

泣いたわ。普通に泣いたわ。

いやほんとに、私泣くことめちゃくちゃ苦手なのに、会見の日に号泣してから堰切ったみたいに涙もろいんだけど。なんだよこれ。

でまあヘブンリに泣かされEDのナレーションとテロップにえぐえぐ言うくらい泣かされて。

ふと思った。ああ、「関ジャニ∞渋谷すばる」は、死ぬんだって。

ごめんね、こんな言い方しかできなくて。不謹慎だよね、嫌だって思う人もいるよね、ほんとごめん。

でもね、事実なんだなって。7/15に、「関ジャニのすばる」は死ぬ。私たちは4月に、余命三か月を彼と彼の大事なメンバーたちから教えられたんだ。そうして、その日を受け止めるための猶予を与えられた。

普段は、決まってしまったことにグダグダいうのが大嫌いだから、「その決断すごいね、その引き際かっこいいね、漢の背中だねすばるくん。でも体調には気を付けてね」なんてスタンスだったけど、やっぱり無理だ。

嫌だ。「関ジャニのすばる」という概念が死ぬことが耐えられない。

使い古された言葉を使うと、彼は私たちの心に残り続ける。大きすぎるその存在感でもって、人々の記憶に生き残り続ける。そうしていつか「シンガーソングライター渋谷すばる」として新たな概念を作り出すのだろうけど。うん、やっぱり寂しいし悲しい。七人の笑顔が六人の笑顔になることは、寂しいでしょうよ。七人が好きなんだから、私は。

いなくなる、いなくなったことを頭では理解しているのに、ちっとも心が追い付いていない感覚。ふとした瞬間に置いてけぼりな心を目の前に提示される感覚。

何度か経験した、誰かが亡くなるときと全くおんなじなんだもん。気づいたら、そうとしか思えなくて。「関ジャニのすばる」はもう死ぬんだとしか、思えなくて。

 

昨日のМステから三日間の生放送歌番ラッシュで、私たちは機会を与えられてるんだよ。すばる君とのお別れの機会を。

てゆうか今MUSIC DAY見てたらみんな最後なんて一ミリも感じさせない圧倒的カッコよさとアイドル力でジャニーズメドレー参加してて泣きわめくかと思ったわ。こんなぐちゃぐちゃメンタルだけどかっこいいもんはかっこいいし素敵なもんは素敵だし好きなもんは好きなんだね。関ジャニ∞かっこいい。大好き。

 

 

はーーーー何が言いたかったんだろう。ちっともまとまらないや。

うん、うん。なんかオモイダマ見てるともう感情ノンストップだし。なんだよ、泣くなよ。泣かれたら、やっぱり寂しいんじゃんかって、気づいちゃうじゃんか。そりゃメンバー大好きなすばる君が寂しくないわけないんだけど。そんなこと知ってるし、そのすばる君が大好きなヨコヒナの二人が寂しくないわけないしつらくないわけないんだけど。あんだけレンジャーとかバラエティーではしっかり前向いて匂わせないしっかり者のお兄ちゃんしてるくせして。なんだよ、そういうとこすごい好きだよ。

 

 

うん。うん。

今日は七夕だから。

七人、が。いつまでも笑顔でいてくれますように。願わくば、飾りのない笑顔で、アイドルをしてくれていますよに。

 

愛してるよ関ジャニ∞

愛してるよすばるくん。

 

君に幸せあれ。

ちょっとした昔話。

かえでです。

少し暗い、人によっては読むのすらしんどい話題に触れるかもしれません。

少しでも嫌な予感がした人は、どうか読むことを控えてください。

次からはまた歌詞の深読みとか上げようと思うので。ごめんなさいね。元々ジャニ用に作ったブログなのに。

 

ペンネームを使っているけれど、日付とか方言とか、後は私の入っていた部活に関することとかで、“かえで”について心当たりがある人がいるかもしれないし、辛いことを思い出してしまう人もいるかもいれない。もし知り合いの人がこのページを見たのなら私に何も言わずに閉じてほしいし、しんどい気持ちを思い出させてしまったのなら謝りたい。ごめんなさい。

 

 

 

 

「同級生、誰か死んだで」

 

あとにも先にも、おはよう、に対する母からの返事がおはよう、じゃなかったのはあの時だけだったと思う。今でも覚えている。部活があるから土曜日だけれどいつもの時間に起きて、畳の部屋から出ていくと、新聞を握った母がそうやって言ってきたのだ。自殺らしい、新聞に載ってる、とも続けられた。

 

「男?女?」

 

動転していたのだと思う。決して適切な二の句ではなかった。

けれど、当時私のクラスにはおそらく鬱病と思われる女の子がいたのだ。誰も口にはしなかったし少しも望んではいなかったけれど、自殺をするとしたらその子だろうと、心のどこかで思っていたのだと思う。

 

「男の子って書いてる」

「そっか」

 

ホッとした。最低だと思う。

 

そもそも、“同級生”の“誰か”という段階で、私と決して関わりが深い人ではなかったのだ。それならきっと母は、もっと気を遣った報告の仕方をしただろうから。

 

誰なんやろ。ぼんやりとそんなことを思いながら、部活に行った。中学三年生。地元の公立中学に通う面子はほとんどが小学校からの持ちあがりで、その話題で持ちきりだった。私のクラスの、男の子が無くなったのだとわかった。

 

 

「いろんなことを聞かれると思う。けど、何にも言うたらあかんで」

部活の顧問のおじいちゃん先生は、いつもの怒号が嘘みたいな優しい声でそう言った。日常生活にも勉強にも、部活であるソフトテニスにも本当に厳しく、やんちゃな生徒からは疎まれる先生だったので、よく覚えている。みんながラケット片手に先生の方を見ていたけれど、私は見れなかった。先生がいつも座っている折り畳み式のアウトドア用の椅子の、金属のところを見ていたと思う。ああでも、先生の顔を最初は見ていたかもしれない。よく焼けた肌と深く刻まれた皺が、静かに悲しみを纏っている表情は、薄っすらとだけど覚えている。

 

クラスメイトが、死んだ。自分の意志で、命を絶った。

 

そのことを掘り下げる人がいるという先生の予測も、似合わないくらい私たちを気遣った声も、翌々日の月曜日に向かう教室がきっと嫌な空気にまみれているということも、全部が全部嫌だった。貧血を起こしたみたいに頭がぼうっとした。泣きそうだと思うけど、泣けなかったし、なんで泣くのかもわからなかった。14歳の私は、泣くことが一等嫌いだった。

 

月曜日の記憶はやたらと曖昧になっている。覚えていないのか、記憶から消したのか、印象にないのか。わからないけれど、ほかのことに比べてはずいぶんぼやけた輪郭をしている。今も思い出そうとすると、頭の真ん中の部分がじんじんしている。吐きそうだ。

全校集会が開かれた。黙祷は多分捧げた気がする。滑舌が悪い太った校長先生が、多分何か言っていた。命の大切さとか言っていたのかもしれない。けれど、いじめがあったわけでも、不登校がちでもなかった一人の男子生徒の死は、なんだかひどく現実味がなかった。

全校集会の後、彼の所属していたバスケ部が残るようにアナウンスがあった。下の学年から順に体育館を出ていくとき、取り乱しながら泣く男子生徒がいた。同じバスケ部だった彼は、友人との突然の別離に間違いなく驚いて、悲しんでいた。ふらふらと体育館から出て行こうとする彼が誰か別の男子に腕を引かれていた光景ばかり覚えている。

 

お通夜とお葬式の時間がかかれたプリントが配られて、いつもにこにこして素敵な担任の先生は魂が抜けきったみたいだった。学年主任の先生が代わりにいろいろ話していたと思う。

彼の好きなアニメの絵が描かれていた机は、綺麗に消しゴムがかけられていた。誰かが消し去った彼の絵を、私は友人たちと遠巻きに噂にしていた。そのことを急に思い出して、なんだかまた頭がぼうっとした。

 

月曜日の夜に開かれたお通夜には行かなかった。私と彼は、名前は知っているけど、ほとんど話したこともなかった。小学校のころから含めると一応9年間同じ学校にいたのに。ひょっとしたら、本当に話したこともないかもしれない。そんな私が行くことは不自然に思った。

だからなのか、彼の死はどこまでいっても現実味がなかった。

悲しいとか、びっくりしたとか、なんでとか、そんなことすら感じられないほど、彼と私は遠かったのだ。同じクラスだったのに。外から見るときっと近い枠組みに押し込められているのに、こんなにも遠かった。それは中学生の男女なら当たり前の距離感なのに、なんだか私はひどく居心地が悪かった。誰かに責められている気がしていた。

 

翌日の告別式は、クラス全員が授業を休んでいくことになっていた。学年では、希望者のみだっただろうか。この日の記憶はあるけれど、思い出そうとすると気持ち悪くなる。頭の真ん中がじくじくする。

昼休み前にたしかマイクロバスが出発する予定だった。けれど、私は一時間目の国語の時間に気分が悪くなった。元々めまい持ちだし、なんとなく気分が悪くなることはよくあったので、何も考えずに先生に一言告げて保健室に行った。

カウンセラーの先生と保健室の先生だけがいる空間で、私は横になりたかったのに、学年を告げたときかクラスを告げたときか、どちらかの瞬間に先生の目つきが変わった気がする。結局、普段は座らないソファに座らされて、なんだかよくわからない話をした。

余計なお世話だ、と子供ながらに思っていた。この時間の間寝たら、そしたら教室に戻って、私はクラスのみんなと一緒に告別式に行くのだと思っていた。

体調は戻らなかった。

途中友達が心配して様子を見に来て、大丈夫だよ、行くよ、と言った。

 

結局、私は告別式に行かなかった。

 

今でも後悔しているけれど、なにに対しての後悔かは、よくわからない。

みんなが戻って来るより前に早退することになって、母が迎えに来た。職員玄関で誰だか忘れたけれど先生と話している母は、私を見て少し悲しそうな顔をしていたと思う。

「ちょっと心配してたんよ」

そう言われて、びっくりしたことだけは凄く覚えている。

母曰く、私は感受性が豊かだったらしい。

だから、同級生の自殺という大きすぎる出来事に、表面上は何ともなくとも、だからこそ何か異変を起こすのかもしれないと思っていたらしい。予想は大当たりした。

 

 

一か月後の月命日の日に同級生と線香をあげに行った。遺体が発見された場所に花束をお供えして、好きだって聞いてたグミをお供えした。

全部が全部、ふわふわしていた。自分のことじゃないみたいだった。自分のことだったのかと聞かれると、何も言えないけれど。

 

 

 

私は、悲しい顔をするのが苦手だ。もちろん空気を読んで黙るし、人を慰めることもする。けれど、例えば卒業や引退のときも、こんな風に誰かがいなくなったときも。ぽろぽろと涙を流して、その別れを悼むことがひどく苦手なのだ。

高校生の時、最後の試合まで残り一か月を切っているタイミングで同級生がひとり「もう剣道は出来ない」と言ってきた。腰の持病が悪化したからだった。その時も、ぽろぽろ泣くほかの同期や、目を真っ赤にする後輩を見ながら、私は冷たい声しか出せなかった。「目真っ赤やん」後輩を見ながらそういった私を、別の同期が、「お前声怖すぎやろ」って言った。泣かないんじゃなくて泣けないんだけど。声が震えないようにしたら、抑揚が無くなっただけなんだけどなあ。当時の彼氏に気付いてもらえなかったことは今でも小さな傷だ。

 

少し話は逸れたけれど、とにもかくにも私は悲しみを前に出すことが苦手だ。小さいころ、転ぶだけですぐに泣いていた私に「泣いてもどうしようもないことで泣くな!」と躾けた母の影響かもしれないし、私が笑うと喜んだ母の影響かもしれない。友達に「かえでが泣いてるとホントに心配する」と言われた。なんて返したらいいかわからなくて、笑い飛ばした。

 

それはもちろんこの時もそうで。むしろ、この頃が一番顕著だったと思う。

 

彼が死んだ理由は知らない。受験勉強からのストレスかもしれない。少なくともいじめではなかった。もっと私の知らない何かがあったのかもしれないけれど、それを私は知らないし、知る権利もないと思っている。知れても、どうしようもないと思うけれど。

 

彼が死んでからの一年間、私の中にはずっと燻っていた疑問があった。

彼が机にアニメの絵を描いていることを私が友人と笑ったことが、少なからず彼の決断を助長する一因だったのではないだろうか、ということだ。答えはわかっていない。当たり前だ。それを知る彼はもうこの世にいない。

高校で出来た友人に、私は泣きながらそのことを告白した。彼が死んでから、関わることで涙を流すまで、一年かかった。何も知らない人を前にしてようやく、私は、話すことが出来たのだ。許されたつもりになんてなっていないしそもそも咎を背負わされているのかもわからないけれど、私の中で過去にすることが出来たのはあの時だと思う。

一年かけて、私は自分の感情を認めた。

 

全然関わりの無い。ただのクラスメイトの、たった一人の男の子が死んだことが、こんなにも辛くて、悲しいということを。

 

そう、私は悲しかったし辛かった。

けれどそれを、中学生、とりわけ三年生の時のクラスメイトの前では言ったことがないし、言えない。お前に何がわかるんだといわれると、何も言い返せない。

 

成人式で、たくさんの中学生時代の同級生に会った。みんな大人になっていた。それでも集まるとバカみたいなことで笑って、騒いだ。

その中には、全校集会の後に泣きじゃくっていた男子生徒もいた。高校の部活が同じで、公式戦なんかで時々顔を合わせていた彼に会うのはそこまで久しぶりではなかったけれど、それでも懐かしかった。元気?と聞くと、元気やで、と彼は笑っていた。嬉しかった。

 

私達は大人になった。死んだ彼が過ごせなかった七年間を過ごして、体も心も、大きくなったと思う。もう子供を持っている同級生もいるし、社会人になって何年も経つ友達もいる。私は、就職先が決まった。もういい加減、子供ではいられない。

 

馬鹿みたいだと思われるかもしれないけれど、私は未だに彼が死んだことがどこか絵空事だ。どこかで同じように生きて、どこかの高校を卒業して、今どこかの大学の四年生をしながら卒論や就活に頭を悩ませているかもしれない。私と同じように。そんなこと、あるはずないのだけれど。

 

彼の死を、命の大切さを教えてくれたなんて思えない。だって彼はそんなことをしたくて死んだなんて思えないから。安らかに眠れなんても思えない。彼が静かなのとにぎやかなの、どっちが好きか知らないから。

 

ここまで文章を連ねて来たけど、何が書きたかったのかは自分でもわからない。

八周忌を前にして、思うところがあったのかもしれない。最後の学生生活の一年にあたって、けじめを付けたかったのかもしれない。ほとんど誰にも話したことのなかった気持ちとか、後悔とか、そんなものを、ブログってものを持ったのをいいことに吐き出したかったのかもしれない。

 

彼の分も生きる、といった同級生がいた気がする。そんなこと、私は思えない。

彼の人生は彼のものだし、私の人生は私のものだ。

 

今の夢は、40歳になるまで働いてお金を貯めて、暖かくて海が見えるところに一軒家を買うことだ。出来れば英会話教室を開きたいけれど経営が成り立たない可能性もあるから、今から株の勉強をしようと思っている。

中学生の時あんなに遠ざけていたジャニーズが大好きになった。

少し前みたいな無茶なお酒の飲み方はしなくなったけれど、タバコが離せなくなった。煙を美味しいと思って、カフェオレを飲めるようになった。そのうちブラックコーヒーが飲めるようになるのだろうか。マイブームはコークハイボール

 

私は大人になった。14歳の私は、21歳の私を見てどう思うだろうか。

なにやってるんだと怒るだろうか、こんな大人と呆れるだろうか、ちゃんとしろよと泣くだろうか、それでも楽しそうだと、笑ってくれるだろうか。

 

楽しいよ。毎日が楽しい。

 

14歳の私は、七年後の変化にきっと最初は目を丸くして驚くんだ。タバコを吸う私に顔を顰めて、カフェオレを一口強請るくせに苦いと舌を出す。そんなあどけない顔を見て、私は笑ってやろう。どうだ、羨ましいか、大人って楽しいぞって。そして聞いてやろう。あなたは今楽しい?って。

多分だけど、14歳の私はわからないって言う。17くらいまでの私は、わからないって言うかもしれない。だからそうしたら、きつく抱きしめてあげよう。そして教えてあげるんだ。楽しい時は楽しいって言えばいいし、悲しい時は悲しいって言えばいい。周りから見た自分が、泣き顔なんて似合わなくて、めそめそするキャラじゃないんだとしても、泣いたらいいし、嫌だって言えばいい。もっと泣いていいんだよって、教えてあげる。

 

 

2011年6月18日、一人の同級生が亡くなった。

21歳。彼の生きられなかった7年間を生きて、私は大人になった。

 

2018年6月18日、アメリカンスピリットの一ミリを私は吸う。

忘れてしまうけれど。

 何事も突然なんだなあ、と、最近思う。

 

2018年が始まった、およそ5か月前。

 

誰がif or...の閉幕(一時とはいえ)を予想していた?

誰が渋谷すばるの退所を予期していた?

誰が国民的グループが解散の文字がちらつくほど揺らぐと想像していた?

誰がもう一度花沢類と道明寺司をもう一度見れると思っていた?

 

普段の界隈が界隈だからジャニ関係のことしか出さなかったけど。

カウントダウンコンサートを見ていたジャニオタで、少しでもそんなことを考えていた人はまず間違いなくいない。そもそもあんな楽しいコンサートという空間で年明けという特別な雰囲気の中、その瞬間を満喫せず未来のことを考える人の方が異常なのだろうと思うけれど。

 

 

予想もしないことって、本当に予想もしないから衝撃的だし、悲しかったり辛かったり、声にできないほど嬉しかったりする。

 

ある日突然同級生が死んで、

ある日突然親友と喧嘩をして、

ある日突然大好きなおばさんが死んで、

ある日突然両親が会話をしなくなって、

ある日突然一生一緒なのだと思っていた恋人と別れた。

 

そんなもんだよなあ。

 

月並みな事しか言えないけれど、それを忘れないようにしたいな、と思うばかり。

 

当たり前のことなんて一つもないんだよね。

推しが今日も元気で幸せ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

夏コン当たれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

色々思うこと。

山口くんの逮捕について、感じたことをまとめとこうと思う。大したことになる予定はないけど。推測、憶測、個人的意見、たくさん含むので読みたくない人は読まないでね。

 

まぁ事実は今調査中だし、部外者でしかない私がどうあがいても知れることは無いから、報道で言われたことだけしかわかんないけど、ざっくりまとめると↓

 

お酒飲んで酔った達也くんが知り合いの女子高生と電話して家来ることになって二人でやってきた女子高生。に、キスした。びっくりした女子高生は帰って警視庁に被害届提出。

 

 

これが私の知ってる情報。

多分偏向はないと思う。

 

 

で。

 

まず家に行ったことに関して、ふたつの意見をTwitterで見かけた。

 

酒飲んでる男の家にノコノコ行くなよ。危機感無さすぎるしそれでキスされて被害届ってwwwwwww

 

だってTOKIOだよ?達也くんだよ?あんなのどう見てもちょっとかっこいい親戚のおじさん枠じゃん。警戒する気にもならないよ。だってTOKIOだよ?

 

要約するとこんな感じ。

 

 

正直どっちもめっちゃわかる。

 

 

 

16歳、高校生。

本人にたとえその自覚がなくても、男は狼を頭に置いておくべき年齢なんだよなぁ、悲しいことに。でもまだ中学生に毛が生えたような年齢なんだし、親であったり、周囲の大人(今回の場合だとテレビに出てるんだからマネージャーとかスタッフ)がもっとしっかり管理して注意してあげるべきなんじゃないのかな、とも思ってしまう。セカンドレイプにも繋がりかねないから家に行った彼女を私はこれ以上否定しないけれど。(友達といったのはそういう意味で賢い)

 

 

 

でまぁ下の意見。

タレントの持つパブリックイメージがここまで逆方向に働いてしまう例も珍しいんじゃないかな。

朝の番組に出てて、学生と絡む番組ではいいお兄さんしてて、楽器を弾けばかっこよくて、大工仕事や漁が上手で、何よりジャニーズ。

いやほんと、テンプレな「かっこいいお兄さん/おじさん」過ぎる。なんかされるなんて思いもしないよね、確かに。

いやまあ実際したんだけどさ。

 

 

 

ここからはかなり個人的意見になるけど。

 

被害者の子は、酔っ払いの扱いに慣れてなかったんだろうな、と思う。それが悪いわけではなく、むしろ年齢的に扱い慣れてたらびっくりする。

私だって、今なら酔っ払いにキスせがまれたりがなって絡まれても「はいはい〜」て言って適当なソファに転がして逃げれるけど、16の時なんて絶対無理だ。それも男の人。絶対怖い。

 

そんな状況でキスされて、驚いて逃げるみたいに帰って。怖かっただろうな、嫌だったろうな、気持ち悪かったろうな、泣きたかっただろうな。

想像しか出来ないけれど、同じ様に猥褻行為の被害にあったことのある人間だから心が痛いし、トラウマで吐きそう。

 

 

 

 

でも、キスって本当はすごい素敵なことのはずだから。

この人と一生添い遂げます、って神様に宣誓する時に行うような、大切でときめくことのはずだから。

どうかこの子が、これから先素敵な恋愛をして、柔らかくて幸せなキスをたくさん出来ますように。

 

 

 

 

 

そんで。

ちゃんと認めて、たくさんのカメラの前で謝罪した、真摯な姿はジャニーズタレントらしくて感心したけれど。でも、私の中でやっぱり彼の認識はアイドルだから、お酒とかの暗かったりドロドロした部分は出来たら見たくなかったなあ。

 

私が産まれる前から活躍していた達也くん。

これから先、あなたのことをフラットな気持ちで見れることはないだろうなぁ。

たくさん後悔して、背負って、忘れることなく、生きてください。

少年みたいなあなたの笑顔が大好きでした。

 

 

 

 

最後に。

いろんなこと言ったけど、性犯罪において被害者が悪いなんてこと絶対ありえないからね。

ほんとなら、信頼してる大人の家にふらっと遊びに行くことも、好きなデザインだから胸元の空いた服とか短いスカート、ズボンを履くことも、なにも気にせず出来るのがいいんだよ。それを痴漢とか気持ち悪い目線とか万が一のこととか、そんな汚いもののせいで制限されることがおかしいんだもん。

 

でも。

自己防衛、って意識は忘れちゃダメだよ。

すごく嫌だけど、走っていて揺れる胸も、お気に入りのワンピースから覗く足も、好きな人のために頑張って覚えたメイクも、よからぬ人を呼び寄せる材料になることがあるんだから。

 

嫌な世の中だなぁと思う。そういう気味悪い物体のせいで傷つかずに、私より年下の女の子達が素敵な女性になってほしいと、思うばかり。