アイドルなんて好きになるんじゃなかった

村上さんと関ジャニ∞とすばるくん。のはずだった。どうでもいい独り言

あなたが好きで、自分が嫌い。

ああ、そうか、こんな気持ちになるんだ。

Twitter見て焦ってブログ見てもんどりうって、奇声あげた後の感想はそんな感じだった。

推しが結婚するって、こんな感じかあ。

 

まだお祝いできてない。全く素直に、心の底から、祝いの五文字を口にできてない。(文字に起こすことさえ避けている)

 

いきなりだけど、私はすばるくんになりたい。

別に歌が上手くなりたいとか黄金比の顔面を手に入れたいとかステージに立ちたいって意味じゃなく、彼の生き方が好きで仕方ないのだ。

涙目で出席していた会見を見た日から、ぼくのうたを聞いて泣いた日から、彼は私の神様だ。指針だ。ロールモデルだ。好きなことに真摯に向き合って、真っ直ぐに生きていたいと、すばるくんの歌を聞く度強く感じる。私にも「これで生きていきたい」と思う好きなことが、実はあるのだ。

 

こんな時代の中、こんな時代だから、誰かと生きる選択は尊いと本当に思う。

だけど自分の中で、結婚が幸せなことにジャンル分けされていない。

結婚することの価値とか、理由とか、意義とかがわからない。結婚する、した人を見るとへー、と思う。なんで結婚したんだろう。って。

この感情自体は単なる興味とか私の経験則とかに基づいているのだけれど、そこに推しが絡むとさらに複雑化してしまったようだ。

後はもしかしたら多分、勝手に親近感を抱いていたすばるくんが結婚という選択肢を選んだことへの動揺。

 

すばるくん大好きだよ。だからこそ本当に素敵だけれど、やっぱりさみしい。

あの日の「人生半分」の中で、きっといつかこんな日が来るかもって思ってはいたけれど、だけれど、素直にお祝いできない自分が嫌い。

 

「人生は楽しい」というすばるくんが眩しい。

そんなすばるくんが、その楽しい人生の、音楽を、好きなことに全力で挑む毎日を、誰かと過ごすと決めたことは、本当に美しいと、思う。

 

だけどもそれはイコールお祝いできることとはまた異なるんだよな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!

ツイッターはタイムラインが祝福に満ちていて、一言目にお祝いを言えない自分に嫌気がさしてとりあえず閉じた。

 

いくつか自分の感じたことを書き出してみたものの、終着点がどうにも見当たらない。すばるくんへの感情がありとあらゆる方向へ分裂して気が狂いそうだ。

 

 幸せになってほしいと強く思う。だけれど幸せになるための手段として、自分が幸せになれると感じていないものを選択した事実がキツい。

私がはみ出し者と言われているような感覚にもなるし、ああ結局、どんな人でもそこが幸せだとやっぱり思うのかとも思ってしまう。ばかみたい。

 マイノリティになりたいマジョリティで、素直なふりして打算ばっかりだ。くだらない。

 

すばるくん、一番最初にブログでお知らせしてくれてありがとう。嬉しかったよ。

ごめん、まだ言えないけど。幸せだって教えてね。大好きだよ、ずっと。